鎌倉


鎌倉市

神奈川県の三浦半島付け根の西側に位置する鎌倉市は、東京から南西へ約50キロメートルの所にある。総面積39.53平方キロメートル、 人口約17万3,500人。鎌倉市の西側には横浜市、東側には藤沢市、北側の方には逗子市に位置し、南側には相模湾に面している。鎌倉の市街地は東・北・西の三方を山で囲まれ海に面する地であり、 現在の鎌倉は鎌倉市の中心部に当たる鎌倉幕府が拠点となった都市である。歴史の街と山海の自然に囲まれた古都・鎌倉市は、 歴史的文化財・遺跡・社寺が点在し、現在は海水浴場として別荘・リゾート地として多くの観光客が訪れ、注目を集めている。温暖な気候、恵まれた自然、緑鮮やか古都が彩る、美しい風情が漂う一度は訪れてみたい街です。

鎌倉の歴史

鎌倉の歴史は古く、この土地に人が住みはじめたのが旧石器時代の頃と言われている。 平家が壇の浦の戦いで破れ、源頼朝が諸国に守護・地頭を置き、1189年に頼朝が奥州へ逃げた義経を討った。こうして1192年に頼朝が望んでいた征夷大将軍となり、 鎌倉幕府を開いた。初めて武士が幕府という役所で政治をすることになった。鎌倉は、日本で初めて武家政権の基盤が作られ、19世紀中頃まで続く。海と山に囲まれた鎌倉の地形、頼朝は幕府の組織を整えるとともに、まずは都市作りを開始した。 八幡宮正面の若宮大路を中心の道路をつくり、現在の鶴岡八幡宮の地に移して町づくりを中心にした。武士を監督する侍所、行政を担当する制所、裁判所の役割を果たす門注所を設け、政治体制を整えていった。 都市作りが完成したのは1230年頃になると幕府は全盛期を迎えた。鎌倉は、政治・経済・軍事・外交・文化などあらゆる面で日本の中心地となった。 北条氏が実権を握った後も栄え、京都をしのぐ首府となり、当時の築港である和賀江島を通じて中国の宋や元との交易が行われ、禅宗・禅宗様建築・膝彫刻などの技術が中国から伝わってきた。これが鎌倉彫刻の起源でもあり、茶道の鎌倉物としても知られる。 これらは歴史の中で長く守り続け、今現在に至るまで中世の社会を支えた繁栄の歴史を華やかな文化を伝えている。昭和14年に鎌倉が市制を施行され、今までの鎌倉郡の鎌倉町と腰越町が合併して鎌倉市となった。

鎌倉の名前の由来
鎌倉の由来は、様々な伝説や地形的な説がある。
■ 竈(かまど)の語源と説
「かまくら」の原型 はかまど式。しかしこれは単に形態ではなく、この中で正月用の飾りものなどを焼いたという事実から「竈」を語源となった説 。
■ 鎌倉大明神の語源と説左議長と言われる行事に「鎌倉大明神」は付帯しておりその神名「鎌倉」を語源となった説。
■「かみくら」の語源と説
雪の中に掘った穴の形が「かまど」の言葉が「かま」と呼び、「くら」は神様をお迎えする「神座」の意味。雪の中に掘った穴に神様を祀ったことから「かまくら」と呼ぶようになった説。


■ 地形的な鎌倉の説
鎌倉の「鎌」は元々「かまど」と表すことで、倉は「谷」と呼ぶ。鎌倉の地形は、東・西・北の三方が山になっていて、南には海になっていることから地形が「かまど」のような形が「倉」のように一方が開いていることから「鎌倉」となった説。
■アイヌ語の説
アイヌ語で「カマクラン」は「かまくら」という「山を越えて行く」という意味の言葉からきたと言われている。「カーマ・クラ」という「平板な石の山」という意味の言葉からきているという説。




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